本年11月に母校の漕艇部で75周年記念式典があった。目黒区にあった母校は、南大沢に移転していた。

記念事業の一環で、12月に横浜市の鶴見漕艇場で、現役との合同による、オールを握る会と懇親会があった。

 

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以前の50周年記念に投稿した資料をたまたま見つけた。大変懐かしく感じた。青春の1ページである。

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八雲艇友会50周年記念投稿    「暑い一日」

極限の緊張を押さえ、スタートの合図を待っている。

●号砲に続き、スタートダッシュ3本
オールのしなりとブレードでつかむ水の感触。水しぶき。静から突然の動へ。
1コース東大Bと3コース明治がキャンバスリード。    
2コース北大水産と4コース都立大、それに5コースの立教はほぼダンゴ。
黒縁メガネのコックスの野太い怒号!

●100m
明治がややリード。続いて都立。水を切るオールの響き。 躍動!
●200m
艇が軽い!。都立がトップを奪う。
続いて明治、東大B、立教、北大水産。
●800m
都立、明治に追いつかれた。
●1000 m
①明治・3’24”、②都立・3’28”、③北大水産・3’31”、
④東大B・3’32”、⑤立教・3’34”。
●2000m
①明治・7’06”、②北大水産・7’14”、③東大B・7’15”、
④都立大・7’24”、⑤立教・7’26”。

●ゴール後
全身の自慢の筋肉が硬直。自慢のスタミナがカラカラ。目がかすみ動けない。

しばらく起きあがれない。ローアウトの極み。 チクショー。

前半はよく戦ったが、後半は都立のみが艇速が大幅に落ちた。結局4位となってしまった。
昭和39年8月1日。全日本選手権の付フォアの予選であった。

●敗者復活戦
敗者復活戦は1500mで東大Aを抜き2位に浮上した。しかしトップの大阪市大に逃げられてしまった。
①大阪市大・7’18”、②都立大・7’26”、③東大A・7’28”、
④東工大・7’30”、⑤鹿児島大・7’35”。

決勝戦への望みが絶たれた瞬間であり、私の3年間に亘るレース生活の終わりでもあった。
戸田の「暑い一日」であった。
古いアルバムのほこりを払い、35年も前の記録を見ると、つい昨日のように記憶がよみがえってくる。
都立大にシェル艇が入って2年目の、対抗クルーのメンバーであった。

漕艇部の副将としても、勝負に負けた悔しさはあった。
一方で、練習タイムを大きく上回った満足感が、密やかにあった。
ボートの力は、筋力、スタミナ、技術の異なるメンバーの力の総和ではない。
何か、プラスアルファがある。

レースを振り返ると、そんなことが直感的に感じられた日でもあった。
50周年の式典参加は、懐かしい「暑い一日」を思い出させてくれるきっかけになった。

勤務時代となり、仕事の世界で大きな決断を迫られる時、大きな折衝の時など、緊張感に包まれると、
私はレースの、あのスタートを思い出す。薄曇りの空。水のにおい。ひたひたという波の音。息を詰めた静けさ。
そう言えば昔もこんなことがあったなと。
生涯現役、生涯フルパワーで生きて行きたいものである。
まだ還暦まで多少時間がある(57歳)、14期生(工学部 機械工学科卒) 中村憲雄 99-11-10記