日常生活では、予期せぬできごとが、たびたび発生する。

ヒトの人生は「課題」の連続であり、解決し学習すべき「テーマ」でもある。

今回は、私の身に起こった1つの事例を紹介し、考察してみたい。

 

1. 8月24日(土)の昼前に、左手人差し指の先端を切って

しまった。

ヘッジトリマー(生垣バリカン)という、庭木をカットし揃えるための電動工具を

始めて使ったことが原因である。

これは17mmの枝もカットできる優れものである。

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指も切断できる能力があるが、今回は筋肉層のみでまだ良かった。骨は無事であった。

不幸中の幸いであった。

 

かなりの出血があり痛みも激しかった。暑かったせいもあり、貧血を起こしそうになった。

近所のクリニックに状況を電話で説明したが、系列の救急病院に行くように指示された。

 

土曜日の救急外来であったため、担当の整形外科医はおらず、心臓外科医に治療してもらった。

治療台に寝かされ、感染症対策の注射を打たれ、点滴を行いながら、1時間にわたり18針も

縫われてしまった。

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8/26手術直後 。その後の担当の整形外科医からは、きれいな縫い方だと評価されるほどであった。

 

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9/24 1か月後 見た目は回復したが、まだ神経が不十分である。しびれが残っている。

 

2. なぜ指を切ったのか。自分なりの反省と学習である。

① 自分に関係する出来事は、自分自身の潜在意識が招く、とはよく聞く言葉である。

② 金城光夫著 「わたしは王」:タイトルに惹かれ、買ってみた。

以下はその内容の抜粋とその応用案である。

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① わたしの「心」は、自分自身の「王」である。誤解のないように説明する。

「心」は、「自分自身の全て」に対する管理監督者である。指揮官の役割であり結果責任もある。

頭・身体の全てに対しての指揮官。五感や本能に対しても。日常の出来事や結果に対しても。

 

② 「心」はタマネギのような「円」と考える。表面層には「顕在意識」がある。

「 表面意識」とも呼ばれる。

通常の、モノを考える意識層で、心全体の5%を占めている。左脳が主体でもある。

 

③ 表面層の内側には「潜在意識層」がある。何層かに分かれている。

心全体の95%を占める「無意識層」である。右脳が主体である。

「無意識層の力は強大」で、ヒトの行動や、人に関わる出来事を支配している。

催眠術や洗脳では、この層を使って、ヒトの心や行動を支配する。この事実を先ず「知る」こと。

 

④ 潜在意識は「良し悪しや善悪を判断しない」。潜在意識に刷り込まれた内容は、自分自身や

外部に対し、そのまま実行に移し、反映させる。

結果、なぜそうなったのか理解できず、呆然とすることもままある。

潜在意識を自分自身の心で、意識的にコントロールすること。

どうやってコントロールするのかが、その次の課題になる。

 

⑤ 潜在意識は「感情・感動」とつながっている。映像やイメージを司る右脳領域の作用になる。

火事場のばか力は、潜在意識がもたらしている。ヒトの根源的本能である、性欲・食欲・睡眠欲をも支配している。

ヒトは理性よりも、本能の欲求が勝つ時もある。

潜在意識に、指揮権を任せている状態である。「王」ではなく「家来」の状態になっている。

このことを先ず知ること。

 

⑥ ヒトは自分自身の「王」であるなら、アタマをつかい表面意識を活性化させ、潜在意識を

コントロールすること。

感情や本能でさえも、意志の力で制御すること。

映像・イメージ・感情などをうまく使い、様々な場面において、潜在意識をコントロールすること。

訓練と慣れの問題かもしれない。

 

⑦ 私が指を切った時の心理を思い起こしてみる。

ヘッジトリマーは便利であるが「大変危険であり用心しなければ指を切ってしまう。」という恐怖に無意識的にとらわれていた。

両手で操作すべきであり、片手操作は危ないという思いもあった。

無意識的な恐怖感を伴い「悪いことにフォーカス」していた状態であった。

 

⑧ ヒトはだれしも、悪いマイナスな想いを持つことがある。

しかし悪い想いに長時間集中すべきではない。フォーカスすべきではない。    

悪い想いが心に浮かぶことはよくあり、「否定」することは難しい。

しかしそのマイナスな想いを、とりあえずは一旦ワキに置くこと。

避けられない悪い想いも「フォーカスはしない」。これが重要ポイントである。

 

⑨ 潜在意識は「強力な行動エンジン」である。

これを表面意識が意識的に管理監督すること。指揮を取ること。

「心」が自分自身の運転手になり、潜在意識・顕在意識の両者を統括すること。

「王」としての役割責任である。私はこれを知らなかった。

今後は「王」の自覚を持ち、自分の人生や仕事に反映させたい。痛い反省でもある。

                                  以上